商社で働く会社員の日々の徒然

最後の結婚相手は元旅人。わたしは常識のある変人。苦労も失敗も爆笑と失笑に変えて生きてきたーあまりに面白い人生になってきたからブログにしてみる。

アムステルダムからチェコへの移動

1年前の記事で書いたように、1.3キロを全力疾走し、チェコ行きのプロペラを待たせて出発した我々。

 

私、すごく嫌な気持ちになった。

 

というのも、何人かわからんけど白人が我々日本人を見てから、口をハンカチで押さえ、窓を見てフライトの50分ずっとそうしていたんだ。

 

 

人一倍繊細な私は気づいてたよ。

 

日本人は臭かったんかな。

 

 

人種差別は、まだある。

 

 

更年期障害

40代も後半になると、お題の件が気になりはじめる。

 

新婚ながら、おばちゃんの私は毎日綱渡りである。

 

41歳からで始めた白髪、43歳から気になり始めたほうれい線、今年から気になり始めた毛穴。

 

刻一刻と、私はおばあちゃんに近づいて来ている。

 

ラッキーなのは、若い声と、雰囲気(自分で言う事ではないけど

 

どう見積もっても30にしか見えないって言われた時の喜びが、35の時のそれとは雲泥の差である。お世辞でも嬉しいさ。

子煩悩な私が子供を置いて出た事情

1度目の結婚が3年程度で終わり、2度目の結婚相手とは子連れで結婚した。

まさか子供を望むと思っていなかったが前の旦那に負けているみたいで嫌だと、子供が欲しいと言うので生んであげることにした。

その子供たちは30を超えてから産んだので、とても可愛くてとにかく夢中だった。

しかし子供が4人もいる生活ましてやその上仕事をする生活そして同居ではなく核家族と言う生活がどれほど主婦にとって酷なものなのかと言うことを、彼は前の結婚相手とは学んでおらず、理解ができなかったらしい。
わたしの展望は甘かった!
失敗しているから、いわずもがな、と思って見切り発車したのだ。

己に唾を吐くのは嫌なので前夫の悪口は省略するが、とりあえず12年間は地獄を見た。

いわゆるモラハラと言っておく。

子供がいる手前毎日楽しそうに振る舞つつ心の中は闇しかなかった。

子供を産んだ時10年経ったら置いて出ようと誓いながら育てたのは人生最大の不幸なのかも。そんな母の元にうまれた子供も。

だけど思うんだ。
いま、子供とは会えていない。モラハラの行動で、会うことが憚られている(難癖をつけて訴訟するようなレベルのモラハラ具合なのだ)

だけどわたしと子供らを隔てることは不可能なの。
毎日毎日LINEしてるんだよ。


モラハラのそこの君。

無駄無駄

新婚生活(1年5ヶ月経過)

相変わらずバカップルではあるんだけど、無言でいる時間は増えた。

 

夫は相変わらず後追いしてくれるから、かろうじて新婚の匂いを残してはいるが、何度か結婚経験のある自分は幸せは長く続かない、みたいな冷めた視線で生活を俯瞰する。

 

だけどね

 

旦那さんのお陰で、うちらまだ新婚っぽいw

愛を努力する、って、初めて知った。

だから私も努力する。

 

若くいる努力。

無駄遣いしない努力。

仕事で成果をあげる努力。

 

お互いを尊重しあえる夫婦で、何十年経ってもいたい。

 

SNSみたいなやつをやめてみた。

FBとインスタをしてた。

だけど辞めた。

理由はこうだ。

いずれも

自らの意思で投稿をしていて、その内容は制限はしていたとしても、手段さえあれば誰だって見れるものだ。

webに公開するということは、非公開にしていても全世界発信するということ。

これがわたしなりのネットリテラシー

 

 

なんですが。

 

 

なんか、その投稿が、わたしの壮大な秘密だと勘違いされており

 

しかも私のあずかり知らぬところで密かに閲覧を依頼していた、世界で1番嫌いな人がいたっていう…

 

なんというか

 

 

まぁ見ていいよ。

 

わたしの大嫌いな人間に見せた人を知りたい。

 

探偵頼めばわかるだろうけど…